今日の昼休み、誰かがスティーブ・ジョブスが亡くなったと叫んだ。
うそだ!
それが私の最初の言葉だった。
ぐっと涙をこらえた。
Lisa(リサ)が浮かんだ。
昭和58年からの気になる人を失った悲しみ。
息子のブログを見た。
しばらく涙が止まらなかった−と。
君も悲しいか。
中村さんのお題の2回目。
3.11から半年を過ぎて。
ちょうど1ヶ月後の4月11日の日経に「それでも海と生きる」という記事が掲載された。
南三陸町で46年間漁を営んできた高橋さんの言葉だ。
この記事を読んで、これこそまさにフランクルだ!と飛び上がったことを思い出す。
人生が私に問いかけてくる。
海が高橋さんに問いかけてくる。
あの高橋さんは無事に海に戻れたのだろうか。
あれから半年。
いつもお世話になっている中村さんから、夏のしめくくりとしてお題が提案された。
お題:「もうすぐ夏も終わり。秋が来る前にやっておきたいことは?」
8月も終わりの30日に大阪に行ってきた。
新幹線の車窓から眺める青空にはもう秋の雲がかかっていた。
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる。
古今和歌集の藤原敏行の和歌を思い出した。
そういえば今年は入道雲をあまり見なかったな。
西瓜もトウモロコシもあまり食べてないな。
震災対策やら節電やら首相辞任やら・・・。
夏らしい夏を過ごせなかった。
でも、そんな夏を過ごしたことをいつまでも忘れないだろう。
私も日本も。
先日、息子が日刊工業新聞に写真入りで大きく掲載された。
親としてとてもうれしく思った。
旧約聖書 箴言17にこうある。
孫は老人の冠である、
子は父の栄えである。
まさにそのとおりだー親馬鹿とは思うが心からそう思った。
《触り三百》という言葉を知った。
iPhoneの大辞林によるとこうだ。
触っただけで三百文の損になる意。ちょっと関係したばかりに損をすることのたとえ。「是ぞ世にいふ━なるべし/浮世草子・胸算用1」
自分にとっては結構意味のある箴言かも知れない。
通勤時に歩きながらipfoneで論語を聞いている。
素読と読み下しのリズムが心地よい。
今朝、為政第二のところで、あの有名なフレーズが読み上げられた。
子曰(子曰はく)吾十有五而志于学(吾十有五にして学に志し)三十而立(三十にして立つ)四十而不惑(四十にして惑はず)五十而知天命(五十にして天命を知る)
六十而耳順(六十にして耳順ひ)
なるほど
五十歳で天命を知った。
六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになった―か。
私も間もなく63歳になるが、その境地になっているのだろうか。
そんなことを考えたとき、耳に次のフレーズが飛び込んできた。
七十而従心所欲不踰矩(七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず)
ああ、まだまだ上があったんだ。
まだ自分にも頑張れる余地があるんだ!
まだまだ人間として成長してゆく目標があるんだ!
何だか、10歳も若返った気がした。
何だか、とても嬉しくなった。
先日家内がゴーヤの苗を植えた。
毎日水をやって大切に育てている。
ぐんぐん伸びて、たくさんの花をつけるようになった。
ところが実らしきものが見当たらない。
はてーと易を執ってみた。
沢地萃の六二
二陽四陰の卦。
よくよくみると四陰の花の間に、二陽のゴーヤの実が。
3日ほど前、家内から小さなゴーヤの実を二つ見つけたとの報告。
やれやれ。
MacBook Proには、マウスがついていない。
iPhoneのように、複数の指を使い分ける「マルチタッチジェスチャ」方式だ。
昨日までのダイナブックは、マウスでの操作だ。
マウスは、食事で言えば「箸」で食べるようなもの。
マルチタッチは、指でカレーライスを食べるようなもの。
いったいこの操作は、1本指だったか、2本指だったか、3本指だったか。
MacOSライオンになると、4本指も加わるとか。
おいしい料理を前に、食べ方でつまずいている。
最近のコメント