フランクルの源流を求めて
ヴィクトール・エミール・フランクルの源流を求めて、ハシディズムからユダヤ教まで遡ってしまった。
『フランクル回想録』にも、「そういうことで、私はマハラールの12代目ということになる」とある。
ユダヤ教―勿論それを理解したと言うわけではないが―まで遡ってみると、フランクルの主張する、「われわれ人間は、精神的存在であり、それゆえにこそ責任存在である」という趣旨が実感として理解されてくる。
さらに、ゾロアスター教からタルムードまで遡ってみたい気もするが、アウトカムを思い起こし、もとの地平に戻ろう。
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