姓名判断への一疑問
姓名判断の主流は、字画で判断するものだ。
字書の源流の『説文解字』の配列は、太始化成の元である「一」に始まり、十干十二支など分化の極である「亥」に終わる―とされる。
現在の部首別漢字辞典の規範となった『康煕字典』の配列は、部首の配列も、部首の中の字の配列も全て画数順。
白川静『字書を作る』によると、字はその構造的な原理から離れ、その構造的な意味も捨てられ、ただ筆画くの形式によって分属配列されている。そこにあるのは、すでに文字ではなく文字の形である。意味を失っている記号である。
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現在の主流の姓名判断の字画の数え方は、康煕字典によっている。
文字はそもそも文字成立当時の生活の仕方・思惟の仕方をそのまま反映しているものである。
その意味を失った単なる記号の画数をもとに、人の一生の盛衰を判断することに、本当に意味があるのだろうか。
白川静という今はなき大きな知性に触れて、そんなことを感じた。
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